イタリアルネサンスの偉人たち
Numero.4 フィリッポ・リッピ <Filippo Lippi>(1406-1469)
15世紀フィレンツェにおけるルネサンスの立役者の一人であるフラ・フィリッポ・リッピ。彼の名には常に『破戒僧』という不名誉な形容がつけられます。修道士の身でありながらスキャンダルの多かった彼は、5歳ほど年上の同時代に活躍した信仰篤い画家フラ・アンジェリコ(フラとは僧侶という意味)とよく比較されます。しかし素行に関しては問題の多い彼も、こと絵画に関しては、飛びぬけた才能を持っていました。『天才破戒僧』フラ・フィリッポ・リッピとはどういう人だったのでしょうか。
1406年頃、肉屋の父親トンマーゾ・リッピの子としてフィレンツェの職人街サント・スピリト地区生まれたフィリッポ・リッピは、産まれてすぐ母を亡くし、父も二歳のときに死んでしまいます。彼の生家はサンタ・マリア・デル・カルミネ教会のすぐそば、アルディリオーネ通りに今も残されています。孤児となった彼は叔母に育てられますが、生活難のため、8歳で近所のカルミネ修道院に入れられてしまいました。修道士の誓いを立てたのは15歳のときです。少年の頃から悪童だったリッピを、絵の道に進ませるようにしたのは修道院長でした。
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1420年代後半にマゾリーニとマザッチョが描いたルネサンス絵画の夜明けとも言われる、カルミネ聖堂のブランカッチ礼拝堂の壁画は、画家として歩み始めたリッピに大きな影響を与えました。彼の初期の作品と思われる壁画『カルメル会則許可』や『謙遜の聖母』はマザッチョのリアリズムの影響を強烈に受けており、当時の人々はマザッチョの霊がリッピの体に入り込んだと噂するほどでした。この時期のリッピの絵の特徴は、丸い肉付きのよい顔と、人体の比例の不自然なところ。まるで児童劇をみているような気さえします。しかしその何ともいえず人間臭い表情は、まさにマザッチョの革新的表現です。
1428年にカルメル会修道院の副修道院長となり、1430年には「画家」として記録されたリッピ。1430年代にはフラ・アンジェリコと並び、その時代の最も多忙な画家の一人となっていました。この時期フィレンツェのサント・スピリト聖堂のために作成した名作『バルバドーリ祭壇画』は現在パリ・ルーヴル美術館にあります。
リッピは人嫌いで、気難しく気まぐれで情熱的、そして規則や契約をほとんど守らないというまったく聖職者とは思えない性格だったようで、トラブルも多くありました。記録に残されているものとしては、フィレンツェの司教から画家のジョヴァンニ・ディ・フランチェスコに払うべきお金を、領収書を偽造してだまし取ったと訴えをおこされたことが有名です。彼は罪を認め、断罪されました。ヴァザーリの「芸術家列伝」によるとリッピは『大変な女たらしで、気に入った女を見かけると、その女をものにするためには、自分の財産を全てつぎ込んでしまうほどだった。それがかなわないときには、彼女の姿を描いて恋の炎を鎮めようとした。彼は色欲に溺れ、こうした情にとらわれたときには、製作中の作品にもほとんど意をはらわないほどであった』とあります。彼のパトロンには、かのメディチ家の老コジモ・デ・メディチがいます。コジモからの依頼により、1枚の絵を描くため家に閉じ込められた彼は、ハサミでベッドのシーツを細く切り、それで窓から降りて何日も遊興にあけくれました。そこでコジモは彼の非常識さや彼の犯す危険に備え、それ以来つねに彼を手厚く遇するようにつとめ、その結果彼はすみやかに仕事を進めるようになったといいます。1437年頃の作品と思われる『タルクィニアの聖母』はまだリッピ独特のキリストと聖母像が見られますが、奥行きのある空間と背景の中庭は当時フランドル(現在のベルギー、オランダ、フランスの一部を含む地域)で発展したフランドル絵画の技法を取り入れています。このフランドル美術の影響をどこから受けたのかは諸説あります。
リッピの作品様式が確立されたのは1440年代。この頃の代表作としては、フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂の『受胎告知』があります。まるで宗教劇のような臨場感と、明快な遠近法、そしてリッピらしい人間味ある二人の天使。前景の柱はだまし絵、彼はディテイルの描写にすぐれ、宝石や衣服などはこれは本物ではないかと、思わず近づいて覗き込んでしまうほどのリアリティがあります。
フィレンツェのサント・アンブロージョ聖堂の主祭壇画『聖母戴冠』(フィレンツェ−ウフィッツィ美術館)はリッピの代表作の一つと言える大作です。空間を埋め尽くす天使たちと絵をみるものに視線を向ける寄進者たち、、美しい百合の花が印象的な絵です。左手前にリッピは自画像を描き込みました。聖母マリアはキリストからではなく、父なる神から冠を授けられるといった、独特の解釈を盛り込んでいます。全てが丁寧に描き込まれていて、リッピ渾身の作品といえるのではないでしょうか。
1450年にリッピは領収書偽造の詐欺事件をおこし、1452年にフィレンツェ近郊の町プラートに移り住みました。そして13年にわたってこの町の大聖堂に壮大な壁画を描きます。生涯にわたって助手となるフラ・ディアマンテと共に、『聖ステパノの生涯』『洗礼者ヨハネの生涯』を描きながら、他の作品も手がけました。ここで描かれた『ヘロデの宴会』は聖ヨハネの生涯の有名な一場面を描いたものです。美しいサロメに、踊りを舞った褒美は何がよいかとヘロデ王がにたずねたると、聖ヨハネに批判をされ腹をたてていた母ヘロデアにそそのかされ「ヨハネの首」を望む場面です。美しく舞うサロメの動きあるポーズと冷ややかなヘロデアの表情、これ以上の表現はないでしょう。
このプラート滞在中の1456年にリッピは、あの恋愛スキャンダルを起こしたのです。リッピ50歳のとき、30歳近く年下の美しい修道女ルクレツィア・ブーティに恋をしてしまいます。もちろん修道士と修道女という許されない関係、しかし深く愛し合うようになった二人はリッピの家に逃げ込みました。これが誘拐事件といわれる出来事です。そしてルクレツィアの妹スピネッタまでもリッピと共に暮らすようになったのです。翌年にはルクレツィアは男の子を出産、この子が後に画家となるフィリッピーノ・リッピ。その8年後には娘アレッサンドロも生まれます。2人の姉妹は修道女の誓いをたて一度は修道院に戻りますが、再びリッピの元へ戻ります。風紀を乱したとして、フィレンツェの「夜間犯罪および修道院取締局」から通告を受け、リッピのパトロンであるコジモ・デ・メディチの口利きでルクレツィアと暮らすことが認められました。コジモはリッピを次のように評価していました。『稀有な才能とは天上のものであり、車引きのロバなどとはちがうのだ』リッピの才能は神から授けられたもので、計り知れないほど貴いもので、彼の才能の前では恋愛スキャンダルなどはとるに足らない、許されて当然のことだったのです。
この頃から彼の描く絵に変化が見られます。それまでの丸くボリュームのある顔の表情から、ほっそりとした表情のマリア像を描くようになりました。画面全体もすっきりとまとめられ、洗練された印象を受けます。後に彼の後継者となるサンドロ・ボッティチェリの画風に相当な影響を与えています。リッピの絵の中で一番有名といえるのがウフィッツィにある『聖母子とに天使』ではないでしょうか。神々しいというよりも温かみにあふれ親しみやすい聖母像は、妻ルクレツィアとわが子フィリッピーノをモデルに描いたといわれています。このフィリッピーノは後にボッティチェリの弟子となり、父の画風を受け継ぐ画家の道を進みます。
1467年、フィリッポは家族と助手のディアマンテと共にウンブリア地方のスポレートへ招かれ、大聖堂の壁画を製作します。60歳をこえたリッピのこの作品は大部分工房の助手の手を借りたもので、このスポレート大聖堂に描かれた『聖母マリアの生涯』が彼の最後の作品となりました。1469年10月、スポレートの地に眠ることとなったフィリッポ・リッピ。彼の死後10年ほどしてからリッピのパトロンで理解者であったコジモ・デ・メディチの孫ロレンツォ・イル・マニフィコが遺骨を引き取りにスポレートを訪れます。しかしスポレート市は遺骨を渡すことを断り、ロレンツォはスポレート大聖堂にリッピの墓碑をつくらせ、詩人ポリツィアーノによる碑文を彫らせました。
『私フィリッポはわが絵画の名声ゆえにここに休む/わが腕の称賛すべき優雅さを知らぬ者はない/私はわが指で色彩に生気を吹き込み/今にもしゃべらんばかりの人物像で人々を欺いた/私がつくり出した自然じたいが私の人物に驚き/私が自然の造化の術にひけをとらないことを認めた/ロレンツォ・デ・メディチが以前は土くれに覆われていた私を大理石の墓に上においた』
イタリアにある主なフィリッポ・リッピの作品
- カルメル会の会則許可(フィレンツェ−カルミネ教会)
- 謙遜の聖母(ミラノ−スフォルツァ城美術館)
- 玉座の聖母子と天使および聖人たち(エンポリ−コッレジャータ美術館)
- 聖母子(フィレンツェ−メディチ・リッカールディ宮)
- 聖母と天使たち及び聖人たちと寄進者(ヴェネツィア−チーニ・コレクション)
- 嘆きのキリスト(フィレンツェ−大司教館)
- コルネート・タルクィニアの聖母(ローマ−バルベリーニ国立美術館)
- 受胎告知(フィレンツェ−サン・ロレンツォ聖堂)
- 聖母の戴冠(フィレンツェーウフィッツィ美術館)
- 4人の教会博士(トリノ−アカデミア・アルベルティーナ美術館)
- 受胎告知(ローマ−ドリア・パンフィーリ美術館)
- 受胎告知(ローマ−バルベリーニ国立美術館)
- 幼子キリストへの礼拝(フィレンツェーウフィッツィ美術館)
- 聖母子と2人の天使(フィレンツェーウフィッツィ美術館)
- 聖母子と聖アンナの生涯(フィレンツェーパラティーナ美術館)
- チェッポの聖母(プラート)
- 聖ステパノの生涯(プラート)
- 聖ヨハネの生涯(プラート)
- 聖母マリアの生涯(スポレート)
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