GRANDIOSO
イタリアルネサンスの偉人たち


Numero.2 ティツィアーノ<Tiziano Vecellio>(1488-1576)

ティツィアーノ自画像


 2回目の旅は、数あるイタリアルネサンス絵画の中でも私が最も好きな絵、ヴェネツィアのサンタ・マリア・デイ・フラーリ教会の祭壇画「聖母被昇天」を描いたティツィアーノの作品を巡りたいと思います。ヴェネツィアの人々が宝と呼ぶこの絵を描いたティツィアーノ、彼は「画家達の王」とも呼ばれました。

『フローラ』−ウフィッツィ美術館 ティツィアーノはイタリアアルプスのピエーヴェ・ディ・カドーレという小さな村に生まれました。ヴェネツィアから車で約3時間のこの村には、ティツィアーノの生家が残されています。9歳でヴェネツィアにやってきた彼はモザイク職人に弟子入りします。このときすでに自分は下絵を描くために生まれてきたのではないということに気づいたといいます。まもなく彼はヴェネツィア市おかかえ画家のジェンティーレ・ベッリーニの工房に入ります。けれどジェンティーレの無味乾燥な絵を愛することが出来ず、いつも奔放な作風で師匠に挑戦していました。その後、弟のジョバンニ・ベッリーニの工房に移ります。ここで彼はスケッチを含めた一切の準備を省いて、ただ絵の具だけで描いてみたかったのです。血液の色を利用して、肌を輝かせる手法はジョヴァンニから学びました。


 34歳の若さでペストによってこの世を去った、謎につつまれ伝説の画家ジョルジョーネの影響も強く受けています。先輩画家でもあるジョルジョーネのImpresso(くわだて)と呼ばれるごくわずかな人だけが解る学問的な隠喩がこめられた絵と不思議な構成は、ティツィアーノの絵にも見られます。彼が20代半ばの頃、ヴェネツィア政府の書記官から結婚式を祝う絵の注文を受けたとき、すぐにある題材がひらめきました。これが「聖愛と俗愛」(ROMA−ボルゲーゼ美術館)です。大地と自然の母を強調した着衣のヴィーナスと、天上への道を表す神々しい裸のヴィーナス。この二人の女性は異なった時間を過ごしていて、左側は朝方の時間を、右側は夕方の時間を示しており、よりミステリアスに印象を受けます。この絵には哲学的な概念が隠されていて、解説は諸説あります。

『聖愛と俗愛』−ボルゲーゼ美術館

『聖母被昇天』−サンタ・マリア・デイ・フラーリ教会  この絵を描いた直後、ティツィアーノはヴェネツィアのフラーリ教会の祭壇画の注文を受けます。けれど出来上がった絵をみた教会側はこの絵を受け取るべきか悩みました。ベッリーニの動きのない構成の絵を見慣れていた人々は、生々しいマリアが描かれたこの絵は神への冒涜ではないかとティツィアーノの絵を認めませんでした。この祭壇画のマリアと「聖愛と俗愛」のヴィーナスは同じ娼婦をモデルにして描いたものだとか。確かに神への冒涜と言われても仕方がないような...その時神聖ローマ帝国の使者が、教会が買わないならすぐにでも自分達が買い上げたいと申し出たのです。それから、教会はこのマリアについて一言も文句を言わなくなったそうです。ティツィアーノの革命的な絵が認められたのです。

 私もヴェネツィアを訪れると、必ずこの絵に会いに行きます。13世紀に建てられた簡素な外観の教会の中に入ると正面にアーチがあり、そのアーチがまるで祭壇画への門のようにわたしを導きます。そしてドラマティックに描かれた祭壇画の前に建つと、まるで天を仰ぎみたくなるように下から上に視線が動いていき、絵にくぎ付けにされます。地上で驚く12人の使徒たち、天使によって昇天させられる赤の衣装をまとった聖母マリア、そして天上のキリスト。大胆な構図と色彩。薄暗い教会の中で赤が映えることを、ティツィアーノは計算していたのですね。

 ティツィアーノの絵を一言でいうと「官能」だと私は思います。ティツィアーノが画家として出発した時期、ヴェネツィアは熟して腐った果実と呼ばれた享楽の街でした。そのエロティックな文化に触れたことで、彼の豊かな感性が刺激され、宗教や哲学といった枷を取り払って、人間の本質をえぐりだす絵を描くことが出来たのでしょう。そのため彼の描く肖像画は、その人が持つ雰囲気を如実に描き出しています。



 彼が30歳を越える頃にはイタリア全土にその名声が広がっていました。上流階級の富と栄光はティツィアーノが常に追い求めていたテーマでした。優先順位をつけて自分の有利になるよう注文をこなしていく彼は、ビジネスとして絵を描いていたのです。40代には神聖ローマ皇帝カール5世をパトロンに迎え、伯爵の称号まで与えられ、金銭的にもゆとりができてきました。最初の肖像画を描いたときカール5世は「ティツィアーノはこれからも私に仕えてくれるだろう」と言ったといいます。さらにこんな逸話も...肖像画を描いているときにティツィアーノが筆を落としてしまいます。すると皇帝自らひざまずいて筆を拾い上げ、彼に渡したとか。カール5世の寵愛を受けたため、マドリッドのプラド美術館に彼の重要作品が多くあります。
『ウルビーノのヴィーナス』−ウフィッツィ美術館
ウフィッツィ美術館にある「ウルビーノのヴィーナス」、これも私の好きな絵の一枚です。のちのウルビーノ公が10歳で嫁いできた妻のために依頼したもので、ジョルジョーネの眠れるヴィーナスを元に描かれたこの絵は、裸体画の革命ともいわれ、その挑むような視線と圧倒的な存在感に魅了されます。気品と官能美をあわせもつ、感性くすぐる作品です。

 ヴェネツィアのサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会にあるティントレットの「カナの婚礼」には、聖人や使徒の姿を借りたヴェネツィアの有力者にまじって、ティツィアーノの姿も描かれています。彼が偉大な画家として認められていたことを表しています。さらにこの教会にはティツィアーノの作品「聖マルコと聖人たち」があり、当時猛威をふるい、何千人もの死者をだしたペスト除けに描かれたといわれています。



『ダナエ』−プラド美術館
 1545年にヴァザーリの招きでローマを訪れたティツィアーノは、ミケランジェロと出会い、芸術と絵画について語り合いました。当時フィレンツェではデッサンが重視されていましたが、ヴェネツィアでは色彩がなにより重んじられました。彼の完成間際の作品「ダナエ」(マドリッド−プラド美術館)を見たミケランジェロは、彼の色彩に見事なデッサンが加われば画家として無敵になるだろうと言ったといいます。巨匠二人の出会い、どんな対談だったのでしょうか。才能を認め、高めあったのでしょうか、ケンカ別れに終わったという話もききますが...


 ティツィアーノは長い人生の間に真作で約300点、工房作を含めて500点近い作品を残しています。皇帝カール5世や、ヴァチカンの教皇パウルス3世をパトロンとし、フェッラーラのエステ家、マントヴァのゴンザーガ家、ウルビーノのローヴェレ家とも関係を築き、輝かしい名声を手に入れました。まさに偉人の中の偉人、色彩の魔術師、画家たちの王、賛辞の言葉は尽きません。晩年の彼は、妻や兄、娘、息子にまで先立たれてしまいます。彼の故郷の小さな教会には、先立った家族を描いた晩年の作品「聖会話」があります。ティツィアーノもまた88歳でペストに倒れ、彼の希望によりフラーリ教会に葬られ、今なお聖母被昇天を見に訪れる人々の賞賛を受けています。


ティツィアーノのイタリアにある主な作品
  • 「聖愛と俗愛」(ローマ−ボルゲーゼ美術館)1515
  • 「フローラ」(フィレンツェ−ウフィッツィ美術館)1515
  • 「聖母被昇天」(ヴェネツィア−サンタ・マリア・デイ・フラーリ教会)1518
  • 「アヴェロルディの多翼祭壇画」(ブレシア)1522
  • 「ペーザロ家祭壇画」(ヴェエツィア−サンタ・マリア・デイ・フラーリ教会)1526
  • 「悔悛するマグダラのマリア」(フィレンツェ−パラティーナ美術館)1533
  • 「聖母の神殿奉献」(ヴェネツィア−アカデミア美術館)1538
  • 「ウルビーノのヴィーナス」(フィレンツェ−ウフィッツィ美術館)1538
  • 「中断された合奏」(フィレンツェ−パラティーナ美術館)
  • 「教皇パウルス三世とその息子たちの肖像」(ナポリ−カポディモンテ国立美術館)1546
  • 「聖会話」(ピエーヴェ)
  • 「ピエタ」<ティツィアーノ絶筆>(ヴェネツィア−アカデミア美術館)1576