GRANDIOSO
イタリアルネサンスの偉人たち


Numero.1 ブルネレスキ <Filippo Brunelleschi>(1377-1446)

Filippo Brunelleschi−ブルネレスキの像



 ルネサンスはイタリアを中心にヨーロッパ各地へ広がりましたが、やはりもっとも重要な役割を果たしたイタリアはフィレンツェに敬意を表し、そこから一人目の偉人を選びたい思います。ルネサンス建築の発祥の地フィレンツェ、そのシンボルである花の大聖堂Santa Maria del fiore教会のドームを設計したブルネレッスキを巡る旅を始めましょう。
ブルネレスキ作『イサクの犠牲』
 彼はフィレンツェの公証人の家に生まれ、高水準の教育を受けた知性派でした。芸術的才能に秀でていたため家業は継がず、金細工師に弟子入りします。その後、ピストイアに移り、サント・ヤコポ教会祭壇の預言者の半神像と教父像を作成。そしてフィレンツェに戻った20代半ばの彼は、1402年行われたサンジョヴェンニ洗礼堂の第二青銅扉のコンクールに参加し、見事決勝に残ります。しかし、最終的に選ばれたのはギベルティでした。その時の様子ですが、ギベルティの自伝では満場一致で自分が優勝したと書いていますが、ブルネレスキ伝記によると二人が同時優勝したけれど、共同製作を好まず辞退したとあります。どうやら後者が正しいようですね。

 その後ローマへ向かったブルネレスキは、10年の時をローマで過ごします。古代美術を学び数多くの知識を身に付け彫刻よりも建築にのめりこむようになったといいます。確かにローマ建築には圧倒され、魅了されるものがあります。しかしブルネレスキの建築はローマ建築の力強さに加え、優美さも持ち合わせています。これこそ古代建築を基礎にしたルネサンス建築の始まりと思われます。

フィレンツェ・ドゥオモのドーム  フィレンツェ最初の大聖堂は4〜5世紀に建てられ、中世に2度の改築が行われました。1294年近隣のピサやシエナの大聖堂建立に触発され、古い教会を壊し、新しい教会を建て直すことになります。まずは白、緑、ピンクの大理石を施したファサードが作られ、同じ意匠でジョットの構想による鐘楼が築かれました。そして大聖堂建築計画から120年後の1418年に、建築不可能とも思われたこの恐ろしく巨大なドーム(大円蓋)の設計コンテストが行われたのです。そこで優勝したのがブルネレキとギベルティ。二人は洗礼堂の扉のコンテストでも優勝争いをした宿命のライバルでしたよね。

 科学者でもあったブルネレスキはローマのパンテオンから着想を得て、さらに高度な技術でもって設計プランを建てました。屋根を八角形にし、天辺から降ろした8本の補強材リブでその重さを分散させるという画期的なものです。彼はギベルティと共に工事の指導者となりましたが、ギベルティはドーム下部構造の工事に失敗、大きな損失を与えてしまいます。そこでブルネレスキが総監督に任され、フィレンツェ市民が長い間待ち望んだドームが完成されました。ブルネレスキはまさに、技術的にも芸術的にもフィレンツェのシンボルとして誇れるドームを築き上げたのです。我々も、晴れた真っ青な空を背にしたこの大聖堂を見上げると、まさにフィレンツェに来たのだという晴れやかな想いになります。


 このドーム建築のための瓦の土を探して、トスカーナの田舎を訪れたとき、ブルネレスキが食べて、ドーム建築の職人たちの食事として作ったといわれるPEPOSO(かまどの煮込み)と言われる料理があります。牛のすじ肉と野菜を赤ワインで6時間煮込むというもの。高い足場から昇り降りせずに食事が取れるようにと作られたもので、とっても美味しそうなんですが、そこはやっぱりイタリア、大変でもちゃんと降りてMiaCasa我が家でたべていたそうな。ブルネレスキが残したレシピには当時貴重な黒胡椒が使われたものが多く、重労働をこなす弟子達に元気を出させるためだったとか。

オスペダーレ・デッリ・イノチェンティ(捨て子養育院) この偉大なドーム建築を進めながら、ブルネレスキは他の建築に携わっています。さすがは建築の名人。オスペダーレ・デッリ・イノチェンティ(捨て子養育院)、サンロレンツォ聖堂、ピッティ宮殿やサンタ・クローチェ教会パッツィ家礼拝堂など、フィレンツェを旅する上では欠かせない見所を手がけています。捨て子養育院の広い回廊に並ぶ9つのアーチを支える円柱は繊細で、柱の上の壁にはめ込まれた白い布を巻いた赤子のテラコッタのメダイオンは、なんとも愛らしいものです。その 前の広場ではフィレンツェ市民や学生達が憩いの場として、座り語らっています。



 サンロレンツォ聖堂はメディチ家の依頼で聖堂跡に再建したものでファサードは未完成ですが、ルネサンス建築の中でも特に調和のとれたものとされています。

サンロレンツォ聖堂サンロレンツォ聖堂

 ブルネレスキは、これまでの雑然としたゴシック様式を排除し、新しい美を生み出したまさにルネサンス建築の産みの親です。上品で無駄のない雰囲気を漂わせる彼の建築によって、フィレンツェはまさに花の都と呼ばれるにふさわしい街になったといえるのではないでしょうか。彼の墓は今、大聖堂の地下にあり、ドゥオモ付属博物館では彼がドームの建築に使った道具や、彼のデスマスクも展示されています。

ブルネレスキの主な作品
  • 「イサクの犠牲」フィレンツェ−バルジェッロ美術館
  • サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドーム
  • サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ
  • 「十字架像」フィレンツェ−サンタ・マリア・ノヴェッラ・教会
  • オスペダーレ・デッリ・イノチェンティ(捨て子養育院)
  • サン・ロレンツォ教会の聖具室
  • パッツィ家礼拝堂−サンタ・クローチェ教会
  • サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会
  • サント・スピリト教会
  • サント・ヤコポ教会祭壇の預言者の半神像と教父像(サン・ゼノ大聖堂−ピストイア)